信楽といえば「たぬき」 その基本を築いたのが、知る人ぞ知る【狸庵】のたぬきです。



初代[狸庵]藤原銕造氏が信楽狸の基礎を築くまで。


狸のやきものは、江戸時代から茶道の道具として、すでに焼成されていました。しかし、今万人ウケしている信楽だぬきは、楽しさとこっけいさと愛嬌が全身からあふれた初代【狸庵】の藤原銕造風のタヌキがその原型となっています。

1.月夜の晩に出会ったタヌキに魅せられて。

京都清水焼の窯元で11歳のときからロクロをひいていた初代【狸庵】藤原銕造氏は、ある月夜の晩、ポンポコポンと腹鼓に興じる狸を見ました。その姿に魅せられた藤原銕造は、なんとかその姿をやきもので再現しようとタヌキを作り始め、 京都清水での修行を終えて、信楽に住みついてから本格的にたぬきの制作に入ります。そこでは大きな陶器を得意とする信楽の特徴を活かし、等身大のタヌキを次々と作りました。

2.狸庵たぬきスタイルの今昔。

初期の作品スタイルは、今の信楽狸よりも野性的でしたが、だんだんと愛らしいスタイルに改良されました。たとえば本物の狸のように前に突き出した鼻は、配送のときに割れてしまうので、ぐっと低くしました。 そのように工夫をしていく上で、やはり顔も可愛いほうがいい、腹も白いほうが良い、おなかは太っ腹のほうが良い・・・そんなふうにして、次々と工夫をこらし、愛嬌ある可愛いたぬきが出来上がっていったのです。

3.昭和天皇によって、信楽狸は全国的に有名に。

昭和26年に昭和天皇が信楽訪問の際、日の丸の旗を持ったタヌキを沿道に並べて行幸を歓迎したところ、子供の頃からタヌキの置物を集めていた昭和天皇は感激し、歌を読まれました。

をさなきとき あつめしからに なつかしも
しからきやきの たぬきをみれば


そのエピソードはマスコミに取り上げられ、信楽タヌキも一躍、有名になったのです。

全国から注文が入るようになり、「縁起が良い」「愛嬌があって可愛い」ともてはやされ産地の名物として定着してゆきました。八相縁喜で縁起の良い置物と評判になり、信楽は観光で町中が「狸」「狸」「狸」・・・・と文字通り、タヌキだらけになりました。

4.信楽たぬきの発展に尽力する初代狸庵

可愛い顔立ちの【現代風】タヌキを造った一代目狸庵は、地元信楽でその作り方を教え、発展に尽力しました。狸庵で修行をした職人たちは、自分たちの窯で次々とタヌキ作りをはじめ、現在では多くの窯元に及んでいます。

5.今も信楽で狸を作りつづける三代目

今もその伝統を守りつづけながら、声を大きく宣伝することもなく、職人としてこだわりの元祖タヌキを静かに焼き続ける三代目藤原一暁氏。その工房では一代目から三代目までの貴重な作品が展示されており、愛らしくも芸術的ともいえる信楽狸のルーツを見ることが出来ます。